| 名称 |
ワンダフルライフ 資産倍増プロジェクト |
| 代表者 |
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| 猪木 伸昌 Nobumasa Igi |
| 所在地 |
545-0042
大阪市阿倍野区丸山通2−10−2−301 |
| 設立 |
2004年2月14日 |
| TEL |
06-6659-0199 |
| E-mail |
info@1shisanbaizo.com |
| URL |
http://www.1shisanbaizo.com/ |
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| 事業内容 |
株式会社アーティングの加盟店
コンピューターソフトの販売ならびにこれらに関するサービスの提供サポート
販売店、加盟店に対する販売コンサルティングサポート
競馬のノウハウ「わずか5万円の資金で1億儲ける資産運用競馬術」の販売・サポート |
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| 代表者のプロフィール |
昭和43年10月30日生まれ
岡山県倉敷市出身
平成3年 広島工業大学建築学科を普通の成績で卒業(苦笑)
同 年 上場総合設備会社に勤務
ここで京都競馬場を足掛け5年担当するほか、
大阪、京都の多くの現場を担当する
そのほかに、昭和43年以降で近畿県内施工した物件約4万件の
データベースを完成させ、どの物件を誰が担当しているかを
一覧表にしリニューアル工事を前年比200%アップに貢献する
このときの経験が後に生きるとは思っても見なかった
最後の年には、労組の支部執行委員を経験
サラリーマンは辛いことと、大きな会社にしがみついては
腐ってしまうと思うようになる。
企業年金と、退職金の実態を知り愕然とし辞めることを決意する。
平成13年 11年勤めた会社を辞め、1年間、在庫を持たず人脈を広げられる
とネットワークビジネスをする
能力開発セミナー等の参加、勉強により、夢が固まる
セミナー等に誘えないで辞めていく多くの人たちを見て、どうすれば、
だれでも、小予算で簡単に人が集められるのか?を考えるようになる
24時間自分の変わりに口コミを起してくれるホームページ魅力を
認識し作成しはじめる
神田昌典先生の「口コミ伝染病」を知り、マーケティングの勉強を始める
商用のホームページを作ったことを知らせるメールを知り合った
人に流したことが原因でネットワークビジネスから、クロスリクル
ートにとられ、ネットワークビジネスをやめる。
平成14年 営業とはどういうものかを体験したかったので、4社面接を受け、
高級呉服会社に勤める
はじめての営業という世界で、さまざまな経験をする
ときにお客様が購入してくれたことが本当に嬉しく涙したことも・・
不要不急と呼ばれる「きもの」でもしっかりとした価値を伝えられ
たら買ってくれることを知る
平成15年 勉強したことを生かすために、独立。
ワンダフルライフを立ち上げる。
平成15年2月 友人3人とアーティングの正式代理店となる。
「リーディングジョッキー」を2ヶ月で友人・知人に6本販売する。
ノウハウを確立するため、キーボードが2回壊れるほど検証・
実践を繰り返す
平成16年9月 ノウハウの完成
平成17年1月 ノウハウの実践
ソフトを販売した6人のうち、3人にこのノウハウを実践してもらう
ほかの3人のうち、2人は独自の競馬理論でソフトをつかい
こなしており、実践は不可能でした。
もう一人の方は、今年から実践を始める
17年を終了し、
それぞれ、競馬の収支はプラスに!年間のそれぞれの運用率は
HPにて公開中!
平成18年4月 資産倍増プロジェクトを立ち上げ、
競馬のノウハウ
「わずか5万円の資金で1億儲ける資産運用競馬術」
を先行予約発売する
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| 猪木の生い立ち |
私の家庭は父が小さな運送業を営んでおりました。
オイルショックから始めた事業は、その後、高度成長期とともに運送業におおきな発展をもたらしました。建具職人から「もう職人時代じゃない」と一念発起し、大きな挫折を何度も味わいながら、よいお客さんも見つかり、傍目からも、身内から見ても非常に安定した会社を運営していました。
実際、私たちが子供のころには会社も安定しており、お金の苦労というのは味わったことはありませんでした。大変幸せな環境で育ちました。
事務所は家の客間にあり、会社も安定し、晩年の父は、そこで、事務的な帳簿を1時間ほどつけるだけで仕事を終えるほどになっていました。
父が苦労していたことなど、私たち子供には一切見せたことがありませんでしたし、小さなころ、7人兄弟を養うために建具職人に弟子入りし中学校も行けなかった父は、私たち子供に苦労している姿は見せたくなかったのかもしれません。
でも、そんな父の苦労を一度だけ見たことがありました。
10歳の夏のある日、母が洋間から出、兄も出てきたので、これはチャンスと父のそばに居ました。小さなころは忙しく厳しい父に、なかなか近づけるチャンスがなく、こんな機会はめったになかったのです。
寝室の入り口に背を向け、電話をしようとしていたところでした。
よくは覚えていないのですが、なぜか、私は、父の背中の汗をバスタオルで必死に拭いていました。
そこに窓ごしに倉庫にビールの空き瓶をしまうところの母と目が合い、その目が怖かったことが気になりましたが、なぜか、そのまま父の居る寝室にいました。
おもむろに、父は、電話を取ると、意を決したようにどこかに電話をし始めました。
「きたねえじゃねえか!・・・」
涙声で電話の向こうに向かって怒鳴っていました。その瞬間、すべてを察知し、その部屋を出ました。
その後は知りません。
内容も飛び出すように出てきたのでよく覚えてませんが、競争の激しい運送業界で1部上場企業の専属契約を結んでいた父の会社は、かなりライバル会社がいたのです。
そのライバル会社のひとつからなにかをされた様子でした。
びっくりしたと同時に、父が何かにつけ、お前らにはこの会社を継がせないといっていた意味の一端を垣間見たのかもしれません。
父の悔し涙を見たのはそれっきりでしたが、いまでも印象に残っています。
その後も、波風は当然あったであろうものの、順調に業績を推移させ、私たちになに不自由なことも経験させず、育ててもらいました。
その後、私も、自分で家庭を持ち、はじめていろいろなことがわかりました。
そして、私がなに不自由なく育ててもらった以上に自分の子供にも何不自由なくしてやりたい、そう思ったのです。
あのときの父の背中にいろいろなことを教えてもらいました。
それを決して語ることなく、教えながら成功体験を教えてやれたらどんなに幸せだろうかと思うのです。
父は苦労を知らず育った私たちには事業を継がそうと思っていなかったようで、次男である私が大学卒業後、5年もしたら事業を早々とたたんでしまったので2代目として、事業を告ぐことはなくなりました。
ですから、子供に背中で語れる親になろうそう思うのです。
私の夢は、大阪で吉田松陰の松下村塾のように、
『自分の持っている知識を役立てて、今の日本の問題をどう解決するのかという生きた知識の吸収を教える塾を作ること』
その夢に向かって・・
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